koji-northside’s diary

オーストラリア,アデレード大学に留学している理系大学院生のブログです.

もうすぐフライトです.

今,アデレード空港で飛行機を待ちながら,書いています.

 

いよいよ約4ヶ月,117日(一時帰国期間を除く)のオーストラリア,アデレード大学への留学が終わりました.

 

長い,濃い4ヶ月だったなと感じています.留学前に就活やら,トビタテの審査,事前研修をしていたことが今年には思えません.それだけ充実した,刺激がたくさんあったのだと思います.

24年間で(留学中に1つ歳を取りました)最も刺激的な4ヶ月だったかなとさえ思います.

全く日本に帰りたくないです.逆に,みんなをこちらに呼び寄せたいです.

 

 

個人的な備忘録も兼ねて,一ヶ月ごと振り返ってみたいと思います.

 

8月

留学準備が間に合っておらず,台風の日も準備で駆け回っていた.最悪だった.

・現地で使う携帯を10日前に予約した.

・Cash Passport(日本の銀行口座に入金しておき,現地のATMで現地通貨が引き出せるカード)の申請を出発5日前にした(出発当日の朝届いた..)

・研究に必要なソフトウェアを3日前くらいにインストールした.

・そのくせ出発直前に仙台と金沢に旅行に行った.

 

今見返すとひどいですね...笑

やっぱり準備はお早めに...めんどくさそうなところからやっておくのが吉ですね.

 

 

そんなこんなでなんとか現地に着き,とりあえず一週間だけ予約したバックパッカーハウスから家探しスタート!(この時点で家が決まっていなかった)ホントは日本で見つけてくのが気が楽なのでいいと思います.

 

僕の場合,シドニーメルボルンよりも田舎なアデレード(と言ってもオーストラリア5番目の都市,南オーストラリア州の州都なんですけどね..)の家の情報は Gumtree というサイト頼みでした.日本で家の条件を設定して検索して,家主にメッセージを送って契約という仕組みなのですが,送ったメッセージの返事は一個も来ませんでした.

 

こちらに来てから知ったのですが,僕の英語のメッセージが理解不能だった訳ではなくてこのサイトは,検索結果の閲覧はできても,国外とのメッセージのやりとりが出来ない仕様になっていたのです...

まぁこんなんもありますね.Gum treeを使う予定の方はお気をつけて.

 

そんなこんなで,一週間以内に家が見つかりましたとさ.

バックパッカーハウスは,ネィティブ以外にも色んな国の人がいるし,みんな赤の他人なので話しかけるにはとても良い機会(既存のコミュニティーに英語で入っていくのは中々ハードル高め)でした.

バックパッカー旅もいいかもしれない.

 

9月

本来の留学計画は9月1日からだったのでここからが本番.

交換留学でも,編入するわけでもなくタダの居候(Enrollmentもない)になると思っていたのですが,受け入れ先の先生が,Wifiのアカウント,建物のカード(時間外に出入りするときに必要),個別の部屋まで用意してくださり.名実ともにVistor Studentを名乗ることができました.ありがたや.

 

9月の前半は,

・8月の中旬に日本でお世話になっている先生に「(受け入れ先の)先生への手土産がてら学会に投稿しよか?」と言われ,書いていた(実際はかなり書いていただいた)論文の投稿.

・ジャーナルに投稿した,修正箇所山盛り原稿の差し替え.

をしていて,日本の先生と頻繁にやり取りをしていて「なんでわざわざオーストラリアまで着てこれやってんだろ..」と思ってました笑

でも,これが後々効いてくるんです.

 

それらを終えて,一息ついてしまった僕は,だらだらし始めてしまいました.留学期間は限られているのに,慣れてしまうとそうなってしまうんですね.

このままでは堕落し続けるとおもい,時間管理をし始めました.

時間管理自体は,去年の春くらいから手帳に書いていたのですが,全部evernoeteにまとめだしました.

手帳に書くと,基本的にボールペンで書くので変更が入ったときに,イラっとしちゃうんですが,evernoteなら,書き直せる.(性格の問題ですね..)

なんてこともしつつ,

 

 

10月

入社式と名古屋で開かれた学会に参加するために一週間くらい一時帰国しました.

あっという間にまた成田にいました.ほんとに一瞬でした.

帰りはシンガポールのマリーナベイサンズに寄り道しました.

 

オーストラリアに戻ってからは,研究のストーリー(何に使うか),応用先を探していました.

コンピュータサイエンス分野(受け入れ先の先生の専門分野)では手法の新しさよりも,ストーリーが重視されるということで,分野間での評価のし方され方の違いを感じました.

サーベイ地獄でした.

 

11月

サーベイした中から使えそうだなと思った一本の論文を持っていって,打ち合わせをしたところ「これでいこう!どこか投稿しよう!!」と先生が興奮気味に言ってくださりました.正直,僕はポカーンとしていたのですが,Broken Englshで二ヶ月くらい打ち合わせしてきたこととが実ったようで,先生の中で中で何かが繋がったようです.

しかし,投稿締め切りまで,10日ほどしかなく,ここで8月の終わりに書いていた論文が役に立ちました.

その論文の内容を拡張したネタだったので,かなり助かりました.

 

こうして無事,留学中の1つの目標でもあった,受け入れ先の先生と共著で論文を書くことが達成できました.採択通知は1月末.良い知らせがくるといいな.

 

 

一方で,11月に論文投稿をするとはつゆ知らず,10月あたりから投稿直前の土日どんぴしゃでウルル(通称:エアーズロック)観光の予定を立てていました.まぁこれは予期せぬ自体なので,思い切りエンジョイしてきました.とても綺麗で,雄大さを感じました.言ったほうがいいです,絶対.

 

 

12月

ここにはなんにも書いてませんでしたが,日本から同じ大学の友人二人が遊びに来てくれました.

アデレードはそこまで観光都市ではないので,どこに連れて行こうかと調べると意外と色々(州立博物館,美術館,ハーンドルフ(ドイツ人村),ワイナリー,ビーチ,展望台)と観光地があることに気づけました.

アデレード観光の後は,その二人とメルボルン観光をしました.

「今度メルボルンにいくんだ~!」とオーストラリア人に言うと必ず,シドニーのほうがいいよとかメルボルンは退屈だよなど散々言われ倒していましたが楽しかったです.でもあんだけ言われたらシドニーも行きたかったなぁ(飛行機のトランジットでしか行ったことがないので)

 

そして先週,留学中の活動の総括である最終発表をおこなうことができました.

 

 

 

まとめ:

中間発表をする,メルボルン大学の先生に研究発表をするなど目標を達成できなかったこともありますが,自分の中で一応合格点をあげられる留学になったかなと思います.

 

残念だったのは,友達との意思疎通(くだけた日常会話)があまりできなかったことかなー.英語を喋る中でも一番難しい部類に入ると思いますが,どうせ英語を使うなら一番やりたいところだとも思います.帰国後も,英会話カフェなどに行き,英語を喋る機会を維持したいと思っています.

 

 

 

最後に,僕の留学にあたりご支援頂いたトビタテ!留学JAPAN関係者,支援企業・団体の皆様,トビタテ!の書類申請から留学中までお世話いただいた本学国際企画係,留学生係の皆様,特にK川様.面接審査二日前にも関わらず面接練習をしてトビタテ!の審査を戦った皆,快く留学を受け入れていただいた先生,アデレード大学,留学のきっかけを作ってくださり,フォローしてくださった本研究室の小木曽先生,現地で生活面からご心配いただいた先生方,最後に,僕の留学を応援してくださった皆さんありがとうございました.会ったときにお土産話するので待っていてください.

 

 

P.S. 明日の朝,日本に着く予定です.上着がウィンドブレーカーしかないので無事凍える予定です.